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三重からの帰りの新幹線の中です。今日は父の思い出に関して書きます。

私の父は寡黙な人でした。父は地方の魚市場で働いていました。最後はその会社の専務取締役となり65歳まで働いてきっぱりと引退しました。父の仕事は営業でした。

現在はどうなのかはわかりませんが、当時の魚市場のしくみはユニークでした。売り手と買い手の関係が逆転しているのです。つまり魚を買う人よりも、魚を売る人の方が立場が上にあるようでした。

父は夜の9時頃に寝て、深夜3時に出勤していました。ちなみに昼前には家に帰ってきていたので、子供の頃には他の家の子どもたちと比べて、ずいぶんと得をしたと思います。

早く寝てしまう父でしたが実はゆっくり眠れる訳ではありません。

深夜になると電話が鳴ります。それは地方の漁港からの電話で、その電話で何匹を仕入れるかを決定します。

その電話の優先順位で安くて良い魚が仕入れられるかどうかが決まりますから、日頃の人間関係が大きく影響してくる訳です。

父の睡眠を妨げる電話が反対に、父と各漁港との強い人間関係の証でもありました。
ちなみにその電話で売り買いを行っていましたので、一瞬でさまざまなことを判断しなくてはなりません。今思うと本当に過酷な仕事だったと思います。

私はその父からたくさんのことを学びました。寡黙な父であまりたくさんのことを語り合った記憶はありませんが、何の脈略もなくビジネスやマネージメントについて私に語ってくれることがありました。

それは何のテクニックでもない、人の上に立つ者の在り方でした。

・ 部下に絶対に弱音や愚痴を吐くな
・ 部下を人前で叱るな
・ 部下は人前で褒めろ
・ 部下の隠れた努力をいつでも発見しろ
・ 感謝の気持ちを忘れるな
・ 本当に困っている人には手を差し伸べろ・・・・


まだ若くひとりで尖っていた私には、まだ父が語ってくれた、これらの言葉が心に響くことはありませんでした。

今思えばそれはいつか私の役に立つ日が来ることを信じて、心を込めて話してくれていたような気がしてなりません。

その父は2000年に他界しました。

私のふたりの子供達に会わせてあげることはできませんでした。
独立した今の私を見せることも出来ませんでした。

父が他界してすぐに私はマーケティング部長となり、教えられたすべてがそれからの私を救ってくれたこと、その感謝を伝えることもできませんでした。そしてそれらは今も私のビジネスの基盤になっています。

「ボクハガンバレテルカナ?」
今もときどきこう父に話しかけます。明日もがんばろう!

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