それは進化なのか?

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中学1年生の息子です。急成長で着る服がなくなってしまった息子が私のTシャツを着て、私のアクセサリーを付けて、私の帽子をかぶってみたらこうなりました。ついこの間まで半ズボンで自転車を立ち漕ぎして全力で走っていたのに大きくなったものです。笑

話は変わりますが弊社のサービスが急速にモジュール型になってきたことを実感しています。これは成長なのかどうかは分かりませんが。

実は一時期、弊社の立ち位置が、少し分からなくなってしまったことがありました。

弊社はコンサルティング会社なのか?研修会社なのか?それとも制作会社なのか?
創業10年が立ち、おかげさまで順調に事業が推移していくにつき、反対に自分達の領域が定まらなくなってきていました。

また一時期は完全に講師の仕事をお断りしていたことがあります。

私の強みは自分の手を動かせることでした。私は特殊なセールスレターを書くことができ、デザインを行うことができ、また、ホームページも制作することができます。

それらはあくまでもクライアントと共に構築した仮説戦略を動かすためのテストマーケティングツールを作るためのもので、弊社が口だけではなく手を動かせることで、圧倒的にすばやく、また圧倒的に少ないリスクで、仮説検証サイクルを回すことができるようになりました。

ある人には「自分の手を動かすことは三流の経営コンサルタントが行うことだ」と言い放たれてしまったことがあります。しかし、その時にあることに気づくことができました。
 

僕がなりたかったもの、そしてやりたかったことは何か?僕は一流のコンサルタントをめざしていたんだっけ?

当社のサービスは現在、マルチプレイスできっかけをいただいております。
このブログもひとつのプレイスです。またこのブログで紹介していることは当社のサービスのすべてではありません。

サービスによりプレイスを使い分けているというのが実態です。
しかし、当社が提供しているサービスのめざすものはひとつです。それは「クライアントの成功」です。

そしてそのために3ステップ法などの森本式マーケティングやプロジェクティングなどの独自のメソッドがあります。

そして弊社が提供しているサービスはあるクライアントによってはコンサルティングと呼ばれ、あるクライアントでは研修と呼ばれ、あるクライアントでは戦略会議と呼ばれます。ある人は私をコンサルタントだと思い、ある人は私を講師だと思い、ある人は私をクリエーターだと思っています。

現在、当社ではコンサルティング、プロジェクティング研修、プロジェクトコンサルレィング、クリエイティブの4つのモジュールを組み合わせて提供しています。

またある分野ではほぼ完全にパッケージ化されたノウハウを完成しています。決めたことを決めた通りに実施していただければ、ほぼ確実に成果を上げることができるほぼ完成されたノウハウです。

ですが弊社がそこに選択と集中することはありません。

それは弊社のミッションにとってひとつの手段に過ぎないからです。これからも変化することを恐れず成長を続けていきたいと思います。

料理

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研究室(アトリエ)で仕事をしている時にたまに自分で料理をします。

18歳から35歳まで17年間もシングルだったこともあり、掃除、洗濯、料理は何とか生きていけるくらいにはできます。

私はいわゆる「男の料理」のようなものは作りませんし興味もありません。
あくまでも手早く作って美味しく食べられる料理をめざしています。
そんな中で最近、ちょっと興味があるのが炒め料理です。

写真の料理は「新鮮トマトとナスと不明の野菜(笑)とシーフードの赤唐辛子とオリーブオイルのピリ辛炒め」です。(そんな料理があるのかどうかは知りません)

中華とイタリアンのハイブリッドのような味になりました。笑
でも意外に美味しくできました。笑

基本的にレシピを見ずに冷蔵庫にあるものをただ炒めるだけなのですが、毎回、出来栄えが大きく(本当に大きく)変わります。火加減や塩加減はもちろん、炒め時間や具材の投入のタイミングによって。実は基本をほとんど知りません。笑

ちょっとネットで確認したりすればもっと美味しく作れる基本作法や隠し味なんかの情報は探せるとは思うのですが、きっとレシピ通りに作りはじめた時点で、最近、ちょっと楽しくなってきた「料理」という小さなイベントは、ただの「作業」になってしまい、自分にとってつまらないものになってしまうのかもしれません。仕事でも同じ側面がありますね。

これからも自分らしく試行錯誤しながら料理を楽しみたいと思います。
今日のはうまい!笑

半歩前進

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林の中に佇む秘境のような静かな温泉に来ています。
新緑に囲まれた誰もいない露天風呂でじっくりと今後の戦略を練りました。
グリット(GRIT)を続けるための秘訣は、とにかく気分を変えることだと思っています。

私はとにかく仕事の場所をめまぐるしく変えます。

そこはカフェであったり、海辺の芝生の上であったり、アトリエであったり、本社やサテライトオフィスであったり、もちろんクライアントの会議室であったり、そこの屋上であったりです。

手と思考が一瞬でも動かなくなったら私はすぐに場所を変えて気分を変えて再起動を試みます。そうした意味でも私はこの仕事が合っているかもしれません。

今、私がグリット(GRIT)らしきことをしているのは、

・ 執筆・編集・動画制作・ホームページ更新・入稿まで、すべてたったひとりで実行する月刊マーケティングの発行
(表紙のデザインだけはプロのデザイナーにお願いしました) 

・ 4月8日から「森本尚樹の公式ビジネスブログ」の定期更新。
(現在は1日1本の更新を20日間以上続けられています)

・そして10年ぶりに出版用原稿の執筆も開始しました。そろそろ50ページ目を書き終わりそうです。ちなみに出版が決まった訳ではありません。

何のために?何をゴールに?そうしたことはあまり考えずに、グリット(GRIT)することを目的にグリット(GRIT)しています。予想通りちょっと大変ですが、確実にこれからもずっと自分の人生に残るものを残せているような気がします。

1日に1mm前進すれば1年で365mm前進できます。
36.5センチ。それはわずか半歩ほどに過ぎません。

でもそれは踏みだせた半歩です。0をO.5にできたということです。
半歩踏み出すことができれば僕はどこにでも行ける。
そのことをこの10年間で学びました。

さあ今日も1mm前進しよう。

フレンチプレスコーヒー

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今日は午前中、アトリエで事務処理をしています。
最近、アトリエにいる時だけですがコーヒーはすべてフレンチプレスで淹れています。

フレンチプレスは写真のような器具で、簡単に言えば挽いた豆を入れて、お湯を注いで3~4分たったらプランジャーを下げてコーヒーを抽出するだけの超簡単な装置です。

プランジャーには金属フィルターが付いているので紙フィルターなどは使用しません。紙フィルターで淹れた時と比べて濁った感じの色に抽出されます。

実は私はコーヒーにこだわりやうんちくがある訳ではありません。
また味が分かる訳でも全然ありません。

でも今、このフレンチプレスで淹れたコーヒーは自分にとても合っているようです。そういうものなのかどうかは分かりませんが、自分的には苦味が少なく、ほのかな甘みやうまみさえも感じることができる美味しいコーヒーが淹れられます。

簡単に言えば単純に自分の好みに合った味のコーヒーだということなのですが。

かつて私はスターバックスコーヒーのヘビーユーザーでした。

自宅で飲む豆はもちろん、会社で飲むインスタントコーヒーさえもスタバのものを購入していました。このフレンチプレスの器具スタバの店員さんに勧めていただき購入したものです。

ところが数年前に突然、スタバの美味しさがまったく分からなくなってしまいました。
もちろん自分的にですが。

最近、ひさしぶりにスタバに行きましたが、あいかわらずだめでした。
店の雰囲気や調度類も、店員さんの卓越した接遇もあいかわらずすばらしいと思いましたが、でもやはり自分的にはもう美味しいコーヒーではありませんでした。

この感覚は実は約20年前に感じたことがあります。
出張先のシアトルで「スターバックスコーヒー」を飲んだ時にも同じように思っていたのです。

「美味しくない」

いずれにしろ自分にはきっと"本物のコーヒーの味"は分からないんだとその時に思いました。

その後、スタバが日本に上陸して、私がいつからかスターバックスのコーヒーが大好きになったのかは分かりませんが、保温できるタンブラーにいつもスタバのコーヒーを入れて持ち歩くくらい好きになっていました。

スタバが掛けた魔法が解けたのか?私の味覚が変化してしまったのか?

答えはありませんね、それは自分の感情なのだから。
とりあえずフレンチプレスコーヒーが美味しくてちょっと幸せな朝です。

スターバックス 2010年10月16日ブログではスタバのヘビーユーザーぶりが分かります。

頑張れ

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写真は本社・サテライトオフィスの近くにある巨大な倉庫をリノベーションした隠れ家のようなカフェです。
誰もここにカフェがあるとは気付かないような場所にあります。
テラス席の目の前は海に繋がる運河というロケーションです。

ここは打ち合わせや気分転換に頻繁に使わせていただいております。
昨日もここで打ち合わせを行いました。

本日は終日、研究室(アトリエ)の方でコンテンツ制作とオンデマンド動画研修の収録を行います。

さて先日、「では皆さん頑張りましょう」とプロジェクトを締めようとしたら、リーダーの方が申し訳なさそうに、
「森本さん、すいません。当社では頑張れ、とか頑張ろうという言葉は禁止にしたんです」と言われてしまいました。少し驚きました。

それから調べてみたら確かにそうなんですね。知りませんでした。

特に病気や鬱病の方、震災などで被災された方にとっては「頑張れ」というのが禁句だと言うのが常識のようです。

頑張れと言う言葉は人を追い込んでしまう可能性がある言葉として再定義されはじめているようです。
これからはその言葉の使用に注意しなくてはなりませんね。

「頑張れ」

私が社会人になってから受け取った父からの手紙の最後には、いつも「頑張れ」と達筆の力強い字で書いてありました。
その「頑張れ」の字からは厳しさを感じたことは一度もありません。

私の父は逞しく男らしく寡黙で、でも本当に優しい父でした。

力強いその字からはいつも父からの優しく力強い「応援してるよ」というメッセージが伝わってきました。

それはまさに父の人生がそうであったように、毎日を誠実に生きていくことに対する「応援」であり、悲しいことや困難に対しても、それでも立ち上がり前を向いて生きていくいくことに対する「応援」だったと思っています。

私にとって「頑張れ」はこれからも特別で大切な言葉です。

「頑張れ」

Photo

漁港にて 2008.06.18
父 2009.07.23

熊本地震

このブログにもログが残っていますがあの日、私は出張先の仙台駅で被災して2夜3日間を仙台市内の小学校の廊下で過ごしました。

避難所では3日間でミネラルウォーター2本と小さなパン1個と、わかめごはん1パックとインスタントラーメンをいただきました。本当にありがたかったです。

でも避難所ではおむつがなくなて困っているお母さんや、お腹を空かして泣いているお子さんもいました。

今朝、テレビで「のみみずをください」と校庭に椅子をならべて訴えるメッセージを見ました。救援物資がまったく届いていないところがあると報道されていました。

あの時もそうでしたが何かをしたい、何かをしなければと思いながらも、結局は寄付をすることくらいしかできませんでした。

その寄付も本当に自分が届けたいところにちゃんと届いているのかと考えると、いてもたってもいられない気持ちになりました。

でもそうではないですね。どんなことでも、たとえ自分で届けたいところに届けられなくても、それはどこかで誰かの善意とつながっていくのでしょう。そして本当に届けたい人に、届けたいものが届くのでしょう。評論していても何も動きません。

考えてないでできることをしたいと思います。
祈ります。大切な人の無事を祈る方の心と共に、無事を祈り、無事を信じたいと思います。

そして、もしかしたら今ではなく、いつかまた、私にしかできない貢献を行わせていただけるチャンスが訪れるのだと思います。

ご報告

5

このビジネスブログにも時々登場している彼のことについて書きます。

彼の視点はいつも僕に新鮮な驚きと感動を与えてくれます。
結果を残せることは決して多くはなかったけど彼はいつも一生懸命でした。

無力  2007年12月14日

あの日も彼は頑張っていました。
それは幼稚園での初めての発表会の練習。

僕が発表会を観に行けることになったことに飛び上がって喜んでくれました。
でも彼は発表会の直前に水疱瘡に罹り結局、発表会に出ることは叶いませんでした。
あの日、彼の小さな体を抱きしめ、彼のくやしさを全身で感じました。

卒園  2010年3月25日

あの日、彼が幼稚園を卒園した日、僕は彼を通して僕の父の気持ちに触れることができました。僕は彼と共に父親として成長させてもらっているとあの日、感じることができました。

曲がり角の先に 2011年12月4日

あの日、彼は雨の中、曲がり角の先で友人に会いました。
小さな奇跡を見たような気がしました。

大人になって、何でも合理的に考えるようになって、何でもうまくやろうとして、そして大切なものを置いてきぼりにしてしまってるのかもしれない。

そんなことを彼から教わりました。

全力で走れ  2013年5月21日

あの日、彼は全力で自転車を漕いでいました。それは小さな約束を守るため。
何でも計算づくでうまく行動できると思い込んでいる大人。

結果がだめでも「私は全力で頑張りました」と伝えて、とりあえず体裁を整えようとする大人。いつからか全力で走ることを忘れてしまった大人。小さな約束の重たさを忘れてしまった大人。

本当に大切なことを知っているのは僕ではなく彼の方だとあの日、僕は思いました。

勝敗のルール 2013年12月11日

あの日、実は仕事のことで少し心が折れそうになっていたあの日。
彼は僕にじゃんけんをしようと言ってきました。

それは負けた方が勝ちというおかしなルールのじゃんけんでした。

勝敗のルールは自分で決められる。
でもそれはいつも自分が勝ったことにするためじゃない。

自分が勝敗のルールを決めたとしても、だからこそ負けは負け。
この小さな出来事で僕は再起動することができました。

そんな彼も今年の春、小学校を卒業し、中学校に入学しました。
本当に早いものですね。

学校から帰ると「ただいま」ではなく「行ってきます」と言いすぐに家を飛び出していく彼。
グーグルとYOUTUBEを使いこなして調べものをしてくれる彼。
車の助手席で(方向音痴な僕に)道案内をしてくれる彼。

少しだけ大人になりました。
おめでとう。

ありがとうございました。

今日は私が10年前に18年間、勤務していた会社の名誉会長のお別れの会に参加させていただきました。

参加させていただいたこと、心より感謝申し上げます。

お別れの会での現社長の挨拶は私にとって、18年間を走馬灯のように思い出させていただけるものでした。

「私どもにとって常に厳しく暖かい指導者であり、事にあたっては信念と決断の人でありました。日頃、何よりもまず仕事に対する誠意を重んじられ、ご自身にも厳しい方でした」

この短い言葉に18年間の私の名誉会長との思い出のすべてが詰まっているといっても過言ではありません。

本当に厳しい人でした。本当に暖かい人でした。

お別れの会では約10年ぶりに今も会社で頑張っていらっしゃる先輩や同僚、後輩の方々に再会することができました。

「森本さんお久しぶりです!僕は今「〇〇」に関する事業を立ち上げてそれを担当してるんですよ」
現役時代に一緒にプロジェクトを進めていた方が私に話しかけてくれました。
「そうですか。でもその企画を僕たちが立案した頃には会長にずいぶんと叱られたんですよ」
「もちろんその噂は有名でしたから、今回はしっかりとプレゼンテーションして、『やりたいんです!やらせてください!』とお願いしたら『それならやってみなさい』と言っていただけたんです」
「そうですか。それはさすがですね!」

退職してからの10年間を僕は知りません。
会社の方針がどのように変化したのか、そして会長の心境がどのように変化したのかも。

でもお別れの会の帰り道、愛媛へと向かう道中で私は大切なことに気づきました。

あの時、僕たちは本気でその企画を立てていた訳ではなかったと言う事を。
たまたま調査の過程で儲かりそうな分野である事が分かり、急遽、その企画を立案したことを。

なんだかんだ言っても儲かるのだから経営者も喜んでくれるだろうと考えていたことを。そして私自身がその事業を本気でやりたいと思っていなかったことを。

そんな大切なことを今さらながら思い出しました。

会長は仕事への誠意を重んじる方でした。いつでもそれはブレることなく。
あの時の僕たちはその仕事に誠意を持ってはいなかった・・・

「森本くん、君は今ごろ、それに気づいたんですか?でも気付いたのならいいです。これからは本気でやりなさい。本気でやれば必ずたくさんの人が君を助けてくれます」

大きな声で、大きな笑顔で、まだ若かった頃の私に語りかけてくださったあの会長の声がどこからか聞こえてくるようでした。

「仕事に対する誠意」
それは今の私にとって最大最強の武器になりました。
その武器を糧に今日も生きています。

ありがとうございました。
心からの感謝を捧げさせていただきます。

マーケティングインストラクター 森本尚樹

退職願

会社を興す前に私はある会社に18年間勤めていました。
その会社は創業者が一代で興して、東証1部上場まで果たしていました。
退職時のポジションはマーケティング部の部長でした。

特に待遇に不満があった訳ではありませんでした。特に失脚するような失敗があった訳でもありませんでした。これからも真面目に仕事に取り組めば執行役員、そして取締役になるかもしれないとイメージできていました。(さすがに社長になれるというイメージは最後まで持てませんでしたが。笑)

会社は安定した業界で安定したポジションを築いていました。

その会社を私は退職しました。

今日は退職願が受理された日の忘れられない「言葉」に関して書かせていただきます。

私の辞意は会社に動揺を与えました。
私の上司であるマーケティング部の担当取締役、そして社長からも直々に慰留をいただきました。

その一方で、社内に流れる噂も耳にしました。「森本さんはO社に高額報酬でヘッドハンティングされたみたいだよ。条件として森本さんが開発に携わった製品をO社でやることになったみたいだよ」と。

それはまったく根も葉もない噂でした。
ですがその噂は否定しても社内で一人歩きを続けました。

18年間お世話になっていたその会社が、私のスキルのほとんどすべてを作ってくれました。
その会社での経験が(嫌な経験も含めて)私の底力となりました。
その会社の失敗経験も、その会社での成功体験も、そのすべてが、私の最大の武器でした。

私は過去に辞めて行った先輩や、同僚や後輩が、後ろ足で砂を掛けるように出て行ったり、競合会社に情報を抱えて転職することを、ずっと悲しく思っていました。

また同じくらい、競合会社から人材を大量にヘッドハンティングし、前職の内部情報を抱えさせて(それを条件にしたか否かは知りませんが、少なくともそれを容認し)入社させ、ビジネスの成功をショートカットしようとするその会社の考え方がずっと許せませんでした。行く方も行く方で、そんな転職の仕方をしてそれからの人生をプライドをもって生きていけるのだろうか?私は本気でそう思っていました。

だからそんな競合会社に私が行く訳はありません。

またいかなることがあってもお世話になった会社に、後ろ足で砂を掛けるようなことはしたくはありませんでした。それらは自分自身の美学に反していました。

私の辞職の事案はいよいよ最終段階に入り、その決着は創業者である取締役会長へと持ち越されました。

その日、会長室に私はいました。
会長は私の目の前に座っていました。
静かな目をしていました。

私が会長の前でまず述べたのは感謝の言葉でした。
これまで鍛えていただいたこと、経験させていただいたこと、学ばせていただいたこと、
そのすべてに感謝の気持ちを述べました。

会長は黙って私の話を聞いていました。

そして私が未来永劫、競合会社に行くことはないこと、それはたとえのたれ死んでも。
そして、その結果として選んだ道が、自分で会社を興すこと、それは決して競合する製品を扱う会社ではなく、この会社で学ばせていただいたマーケティングを生かした仕事であること、願わくばこの会社で培ってきた経験を生かして、小さな会社の成長を支援したいことを述べました。

最後にもう一度、「私は自分で会社を興します。競合会社には行きません。」そう繰り返しました。

会長は黙ってじっと私の目を覗き込むように見ていました。
いつもの迫力のあるあの目でした。
修羅場をくぐり真っ向勝負で会社をここまで大きくしてきた方の眼光でした。
年齢を重ねても衰えるばかりか、その眼光はますます鋭さをましていました。
20代の頃は何度もその目で睨まれ叱り飛ばされました。

ですが、それはちがっていました。
見間違えていたのです。その目は笑ってました。

18年間、一度も見たことがない目でした。
会長が相好を崩してはじめて、その目が笑っていたことに気づきました。
そして会長はしっかりとした、いつもの大きな声で私に言いました。

「やってみなさい。おもしろいぞ。いいか。うまくなんかいかないんだよ。うまくいかないからおもしろいんだ。おもしろくて、おもしろくてたまらないぞ。金がなくなったら銀行から借りろ、そんな金はすぐに消えてなくなる。そんなにかんたんには行かない。でもそれがまたおもしろい。そしてな・・・・君ならぜったいに、いつかうまくいく。だからやってみなさい」

思っていたように商品が売れない時、思っていたようにお客さまが集まらなかった時、思ったように契約が取れなかった時、経営者は誰もが全人格を否定されたような気持になるそうです。

特に独立して間もない時、ひとりでビジネスを立ち上げた時には、心からの孤独を感じるそうです。世界中からたったひとり取り残されたような孤独感、そしてこの社会に自分は何の存在意義もないのではないかという絶望感。

会社を興してから、私自身も何度もふとそんな気持ちを感じる瞬間がありました。

そんな時に一瞬でその感覚を払拭してくれたのがこの言葉でした。
一代で会社を興し東証1部上場させた方が、私にはそれまで一度も見せてくれたことのない笑顔で、心を込めて話してくれた私にとって本当に大切な言葉です。

「やってみなさい。おもしろいぞ。うまくなんかいかない。だからおもしろいんだ。そして君ならぜったいにいつかうまくいく。だから、やってみなさい」

私はまだ自分の言葉としてこの言葉を誰かに伝えるだけの資格がありません。
でもこの言葉を贈ってあげたい大切な人はいます。

いつの日かこの言葉があなたの小さな支えとなりますように。

勝敗のルール

「お父さんじゃんけんしよう!」
小学4年生の息子が何だかうれしそうにやってきました。

「じゃんけんぽん」
私がグー、彼がチョキ。彼の負け。

ところが彼は私にこう言いました。

「残念でした!お父さんのまけー」
「どうして?」と私が聞くと彼はこう言いました。
「このじゃんけんはね、負けた方が勝ちってルールなんだ!」

彼はうれしそうに大きな声で言いました。

「そんなルールあるかよ!」と私は笑いながら彼に返しましたが、 そんなルールは実はありです。

人が決めたルールの中で、人を評価したり、 自分を評価することは、正しいようで誤っています。絶対に。

特にビジネスの世界では勝敗のルールは自らが決められますし、 自らが決めるべきです。

例えば市場シェアではなくマインドシェアへ
売上ではなく利益へ
従業員数ではなく従業員の幸福度へ
顧客数ではなくファンの数へ
勝敗の判定を世間から自らへと。

私たちはその基準を変えることができます。

そのルールの中では大企業にだって負けることはありません。

確かに世間から評価されやすい評価基準は存在します。
社員3名の会社よりも社員100名の会社
売上高5千万円の会社よりも100億円の会社
非上場企業よりも上場企業

しかし人から凄いねと言われることだけを追求すると、
いつか心を失い、自分を見失います。

数を追えば自分が本当はやりたかったことを捨て、
自分はやりたくなかったことを従業員たちにさせ、
夢や信頼ではなく金や条件で人が集まる。
そんな世界がやってきます。

そして人間は本当に狭い視野でしか世界を見れません。
自分の会社がそうなら、すべてが同じだとしか思えません。
人を裏切れば、人に裏切られるのではないかと一生心配するはめになるのと同じように。

私は私から見て幸福とは思えない経営者をたくさん見てきました。
もちろんそれは私の勝敗のルールの中でのことですが・・・

そして私は息子に大切なことを確認しました。
「じゃあさ、お父さんがグーでお前がパーだしたらどうしたの?」

息子はちょっと大人びた、ため息をつきながらこう言いました。
「だーかーらー、このじゃんけんはね。負けた人が勝ちなの、 僕がパーだしたら僕の負け、お父さんの勝ちに決まってるじゃん」


私は息子の頭をくしゃくしゃになでました。
「おまえはただしい」

勝敗のルールは自分で決められる。
でもそれはいつも自分が勝ったことにするためじゃない。
自分が勝敗のルールを決めたとしても、だからこそ負けは負け。

世間が認めようが、何をしようが負けは負け。
その負けを認めないかぎり幸福な勝ちなんかやってきません。
自分の勝敗のルールに忠実であれば、勝っても負けても明日頑張れる。
私はそう信じています。

「じゃあ行くぞもういっかいじゃんけんだ」
「じゃんけんぽん」
「また負けた―!」笑